好きになれないからね。

卒業できないじゃにふぁん、緋夏のジャニーズコンサート舞台の感想覚書。 いろんなレポがごろんごろん。お品書きを参考にどうぞ。

言葉だけじゃ足りないほどの My love to you(『金閣寺』 主演:森田剛/2011.3.5 1部 覚書感想)

ごうつんに逢いに行ってきましたよ~(*^∇^*)
舞台『金閣寺』を観に行ってきたのです。
今回は神奈川の杮落としという記念すべき公演、だったわけですけれども。
あたしは名古屋での逢瀬になりました。

ではでは、森田剛主演『金閣寺』2011.3.5 1部の感想覚書です。
いつもどおり、個人的な感想なのでね。
そこのところ、よろしくおねがいします、です。
今回は、2階(っていっても、この会場だと1階席みたいなもの)の
ドセンでみちゃったので、すっごくごうつんが良く見えたのだ。

お写真は、会場前のポスターとパンフちゃん。 
 
 

全体
『血は立ったまま眠っている』と同様に、難しかった、です。
時代背景や使われてる言葉、もそうだし。
そして、やっぱり、物語自体が、すごく深いと思うので。
読もうとしても、すごく、体力がいるし、それは舞台になっても同じで。
演じているほうもすごく体力、精神力を使うと思うし、見ている方も、それは同じ。
今回は剛演じる溝口、それから、大東くん演じる鶴川、高岡くん演じる柏木、
三者三様のなかで物語が動いていったような気がします。
溝口には、吃音、どもりがあって、それが彼にとってはすごくネックになっているなかで、
自分の想いや考えを金閣寺に投影していく、
そのなかで彼自身の心が揺れ動いていく、ようで。
観終わって、何を感じましたか?どんな感想を持ちましたか?って聞かれても、
分からないって言うのは、本心なんです。
確実にこれだっていう答えは、明確には出てこないんです。
ただ、何か、どこか、上手くいえないんだけど、残るものがある、というか。
なんていうのかな。
それがハッピーなのか、憂鬱なのか、それともそれ以外の感情なのか…
それも分からないんだけれども。
でも、観てると、溝口も鶴川も柏木も、どの登場人物の感情や行動についても、
どうしてそうなるのか、すぐには分からない、んだけれども、
でも、よく考えてみると、どこかしら理解が出来る、そんな風に思いました。
それをどういう風にあらわすのか、ということ、なんだろうなぁ、って。
『血は立ったまま眠っている』のときも思ったのだけれど、
きっとこのお話が近くて遠い時代、だからこその、難しさがあるんだろうなぁとも。
想像だけの世界ではなくて、かといって、全てがリアルでもなくて。
だけど、その空間は、確かに存在している、という。
そんなことを感じました。

ごうつんに関しては、やっぱり、凄いなぁって。
快くんがこの舞台を観て、すごく褒めてて、というか、
今世紀最大の舞台だと、ほんとに凄かったって言ってて。
演出の宮本先生も、前作の蜷川先生もKAATの講演で
森田剛のことを絶賛、していたわけですけれども。
それがすごくすーっとはいってきました。
森田剛が森田剛たる所以が、そこにはありました。
役柄としては、それまでの『荒神』のジンや『IZO』の以蔵というよりは、
前作の『血は立ったまま眠っている』の良のような感じだったのかな。
今までの役に関してもそうでしたけど、剛のなかにある、鋭さと、儚さ、脆さ。
その比率や割合が、すごく絶妙で。
そのほんとに微妙なとこが、剛ですべて表現されていて。
剛が溝口を引き寄せているのか、剛が溝口に入り込んでいるのか…。
ここでは、その両方、だったような気がします。
彼自身が、いままで、森田剛として、経験してきたこと、
そのきっと想像以上のたくさんのことがここで凝縮されて、
表現されていた糧になっていて。
もちろん、その彼が経験してきたことは、彼にとっても大切なことだと思うけれど、
それがこういう場でも、いかされていて。
きっと、剛には否定がないんだと思います。
ただ、頑なに自分の意志を貫いている、そんな風に見えても、単純にそうではなくて、
例え、違うと思っても、それをまずは聞いてみよう、みてみよう、感じてみようという意志。
そこから、剛が選んで、そして、貫いている、それは澱みがなくて、まっすぐで。
そういうところが、今回、すごく際立っていたように思います。
そして、剛が舞台に現れると、すーっと空気が変わるんです。
それは、やっぱり、剛の持っているもの、だなって思いました。
コンのときみたいに、派手ではない、けれども、決して地味、でもない、
すーっと溶け込んでいるのに、纏ってるものは違う、そんな空気がありました。
それって、剛の存在感、剛の全てがそうさせているんだろうなぁ。
台詞回しや台詞の間、はけるタイミングに関しては、
どれも前作までで見せてもらってるので、何にも心配してませんでしたが、
今回もそれは裏切られることはなく。
今回で言うと、彼が演じる溝口が吃音というものを持っているからか、
剛の発する台詞も、聞き取りにくい部分が確かにありました。
最初はそれが慣れないし、これは演出のものなのか、
どうなのかなんて、ことも思いましたけれど、
でも、それがあることで、もどかしさや拙さ、不器用さ、実直さを表しているようで。
実際の演出の本意は知りえないけれど、
ここでは、それが正解のように、そう感じました。
それに彼の、キャラメルボイスと言われる声が、重なって。
少し高い声でも、これだけの重厚感と存在感を
言葉に与えられるんだということも感じました。
そう発せられた言葉たちは、たくさんの感情をまとって伝わる、
そんな風に言葉を運べるのは、剛だからかな、とも。
そして、剛が胸元にに手をもっていくところ。
これが何度かあって。
そのときどきの手や声が重なって、彼が表すものがすーっと浮き出てきて、
伝わってきました。
他にも、正座するときのお辞儀の仕方、ちょっとした歩き方と走り方の違い、
上を伺う視線とかも、すごく意味を成していたり。
それから、うん、手の幅。
みんなは胸を張って両手を大きく左右に広げたりする仕草をとっていたのですが、
剛はその反対。
幅はなくて、縮こまっていて。
それもすごく、溝口の性格や存在を引き出していて。
仕草に意味を持たせるというのは、仕草を仕草と思わずしているのかな、
意味を持たせようと思わず、
彼が溝口だから仕草に意味がついてきているのかな、と思いました。
最後に彼が金閣寺に火を放つときに、
タバコを吸って、その仕草もすごく、淡々としたなかに感情があって、
すごくどきっとしたのですが、彼が最後に発した「生きよう」という台詞。
この台詞を聞いたとき、彼が発したとき、すごくどきっとするものがあって。
思わず、泣けてきてしまったのだけれども。
彼にとって、森田剛にとって、“生きる”ということはすごく傍にあったことのように思います。
決して、彼の全てを知っている、解っているなんてことは、当たり前に言えないけれど。
でも、彼が10周年のときにふと言った「生きてて良かった」という、言葉。
その言葉には、たくさんの想いが詰まっていて、
その想いを持ってこの言葉を彼が言えていて。
それが今回は、溝口という役を通してだったけど、
彼が発した「生きよう」という言葉は何もかもを超越するもの、だったと思います。
カーテンコールに出てきてくれた剛は、どこかを見据えているような瞳をしていました。
そして、笑うかな?って思ったけど、なかなか微笑ってくれなくて。
でも、その瞳はすごく意志があって、なにかを見極めているようでした。
今回は、すごく拍手がおっきくて、ながくて、
次の公演があるのに、何回も何回もカーテンコールにでてきてくれて。
「ありがとうございました!」と剛らしいテンポで言って、お辞儀をしてくれてました。
そして、最後の最後でコンのときに手を振ってくれるように、
両手を上げてくれて、微笑ってくれて。
あの仕草、笑顔には、こっちもにっこり、しちゃって、思わず、手を振ってしまいました。

舞台
ステージは、奥行きがあったように、思いました。
そして、その上に、またステージが置かれていて、
それが場面場面で動いたりしていて。
上の方からもいろいろ装置が降りてきたりして。
なんだか、すごく場面変化があるように思うんですが、それが慌しいとは思わなくて。
それから、黒板があって、それがすごく違和感、ではないんだけど、え?って思って。
でも、そこに書かれた言葉、“金閣寺”と臨済録の“透脱自在”という文字、
どちらも、このお話のなかでとても大切で重要だと思うのですが、
それもすごく印象的でした。
あとは、金閣寺という“もの”を人が演じてた、というところでしょうか。
その発想は思いもよらなかったし、ある意味、シュール、なんだけど、
それがすごく金閣寺というものを浮き立たせていて。
神秘的であるという、溝口が感じる金閣寺像を如実に表していたように感じます。
それと、足踏みをしたり(これはごうつん、ダンスの成果がでてたよね)、
椅子などを鳴らしたりすることで、すごく音が響いていて、
舞台も剛が椅子から落とされるという音から始まったのですが、
その舞台のなかで発せられる音もすごく重要だったように思います。
溝口の語りの部分は、大東くんと高岡くんが担当していて、それもよかったなー。
それから、ライト。
いろんなとこから当てているのですが、剛一人にスポットが当たる場面が多々あって。
それが、すごく、なんていうのかな、すごくて。
剛がすーっと浮き出てくるんです。
剛の存在感がとても際立っていて、その存在がすごくて、
それが物語っていたものはこの舞台のなかで大きかったように思います。

 
親愛なる森田剛さま
剛ってすごいな!そう思いました。
そして、剛に逢えたことをすごく嬉しく思ってます。
すごいっていう言葉でしか表現できないとこがもどかしいとこでもあるんだけれども。
剛がこうやって舞台でお芝居をしている、ことがすごく幸せです。
剛がやる演目って、すごく難しかったりするんだと思うのね。
でも、それをやるっていうことは、剛は役者さんなんだなぁ、って。
アイドルだけど、アイドルって、歌も歌うし、ダンスも踊るし、
お芝居もするし、…なんでもするじゃない?
もちろん得手不得手はあるだろうし、好きとかもあるだろうけれど、
でも、それって、すごいことだと思わない?
何でも屋さん、なんていったら言葉が悪いのかも、知れないけれど、
あたしは胸を張って“アイドルだ”と言ってくれる剛からは
“アイドルの可能性や凄さ”を感じるよ。
それは、誇りが剛にあるからじゃないかな。
KAATの蜷川先生と宮本先生の講演の話を聞いたときにね、
剛のことについて話してくださっていて。
それを聞いたとき、すごく嬉しかったけど、舞台観て思ったよ。
きっと、剛を起用したこの方たちは、
剛を起用して舞台をつくって勝った!って思ってるだろうなぁって。
だからこそ、“アイドルを舐めるな”って言ってくださったのかなって。
剛の舞台はどれもが森田剛で。
それ以外はあり得なくて。
そういうのって、誰でも出来るわけじゃないと思うから。
剛は剛であることを武器にしていってください。
それにね、思ったの。
そして、剛は、きっと、こういう難しいって言われるような、
そんな舞台を踏んでいくんだろうなって。
それは、観にいく方としてはとても理解するのが困難なことも
たくさんあるだろうなぁって、思うんだけど。
今まではね、剛が出てるから観ようと思ってたの。
でもね、いまは、剛だから観たいって思うの。
上手く言えないんだけど、剛のお芝居は、観ておきたいって思うのです。
これからも、剛の舞台を見せてね。
そして、ずっとずっと、剛に、逢わせてね、そして、拍手を送らせてね。応援させてね。
剛、ありがとう。
もうちょっと続くけど、怪我や病気に気を付けて、千秋楽まで頑張ってね。応援してます。
剛、だーいすき、だよ。
ほんとうに、ありがとう。

さーて、『IZO』は観に行ってる隆くんですが。これ観るかなー。
今回は、観ておいでよ!って声を大にして言いたいなぁ。

今日の愛チューンズ
Theme of Coming Century/Coming Century
この曲のような、可能性。
剛にはたくさん、感じるのです。